重きを置く場所
時として、初対面の人と、幸せの概念について語り合うことがある。
初対面。今日、初めて会った人。
どうも、初めまして。
先日初めてお会いした、お茶の先生をやっておられる初老の女性は、物腰も丁寧に私と祖母を家の中に招き入れてくれた。
私は祖母の勧めで、半ば強引にそのお茶の先生の元に連れられていかれたのである。
祖母は仕事人だ。そのことに並々ならぬ自負がある。この歳まで仕事を続けてきたこと、続けてこれたことを誇りに思い、そこに絶対的な軸を持って価値を見出している。
そして祖母は人の意見を聞かない人だ。それはいい面も悪い面もあって、きっと本人はそれで得をしたことも損をしたこともあるのだと思う。だが、三つ子の魂百まで、だ。
お会いしたお茶の先生は、私の高校時代の国語の教師を思い起こさせた。一度として授業を担当してもらったことはなく、部活動の顧問を担当してもらったわけでもない。だが、私が春休みの課題で提出した作文を見出してくれた柔らかい雰囲気を纏った人であり、よく通る伸びやかな歌声が印象的で、可愛らしいスカートがよく似合い、そして茶道部の顧問をしていた。(だが、怒るとものすごく怖いらしい。)
あの懐かしい先生を思い起こさせる穏やかな雰囲気を感じた。
何の話だったか、幸せの概念の話になっていた。
彼女は、幸せは自分で決めるものだと言った。祖母は相手のペースを気にすることなく、口をつくままに世間話を続けていたけれど、私は先生の話に耳を傾けていた。
自分で自分の命を絶ってはいけない。
どこに幸せがあるのかは自分にしかわからない。そしてそれを決めていいのは自分自身だけ。
他人の幸せを当てはめる必要はなく、そうすることもできない。
お茶の先生は、私の方に寄り添って話してくれた。終始思い出話や世間話は祖母に向けられたものであったけれど、確かにあの時、幸せについての考え方を私に贈ってくれた。
なぜ、初めて会ったあの時あの空間で、そんな話になったのか、不思議だ。
だが、きっとそれはどの人もどの瞬間にでも、ふっと浮かんでくる永遠の問いなのかもしれない。
そして、同じように、私は先生と同じように考えていた。
あなたの重きはあなたが大切だと思うところに置いていい。
あなたが大切にする何かを守る時、優しさを纏ったほんの少しの気遣いや仕草が、あなたを守る術となり、盾となるかもしれない。
次にあの先生と会った時、どんな話ができるだろうか。
桜が美しいこの時期に、そんな出会いを私は少し嬉しく思った。