「初めてと、始めてと、続けること」

 最初ってすごく戸惑う。初めてが嫌いすぎて、知らない誰かによって作られた社会の中、最初の一歩を踏み出すくらいなら、うちに閉じこもって本の最初のページを開くほうがずっといい。


 初めて公文の教室に行ったあの日、確か雨が降っていて傘を煩わしいと思ったあの日、ドアを開けて中に入り注がれる「新しい子が来た」という視線が嫌すぎて、向かう道中ずっと今すぐにでも回れ右をして家に帰りたいと考えていた。英語を習わせてくれると言われて飛び上がって喜んだのは自分なのに(習い事ならなんでもよかったのだ、周りの友達がピアノ教室やらスイミングスクールに通うなか、何もしたことがなかったから)。終わればなんてことない初日だったのに。

 

 多分、「自分一人、初めて」が嫌いなんだろう。誰か隣に一緒に初めてを始める人がいてくれればなんてことはないのだと思う。

 

 でも初めてがあるから、二回目があって、三回目があって、一年が過ぎて、いつの間にか、任せてと言えるような経験を持てるようになる。
 それに、初めてに期待しすぎるのもいくない。教訓。初めてでうまくできるのは、「持つ者」だけと決まってる、多分。「持たざる者」は悲しくおとなしく「初めて」を繰り返して積み重なる経験を努力と呼んで糧にするしかない。

 

 

 

特記。

"歴史上の偉大な人物も最初はみな僕らと同じ学生だったんだ。彼らにできたなら、僕らにもできる"

___ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団より

 

 何かを始める時、学び継続し向上したいと思う時、思い浮かぶハリーの言葉。

 

 


 年初めは何かを始めるのにちょうどいい。
 なんだ、かんだ、と節目節目に、その度に、振り返るほど進んでもいない己の人生を振り返っては、あれはよかった、これは悲しかったと文句をつけているのだから。そして、同じくらい、次はあれがいい、こうなっていたい、と無責任な夢を抱いてみせるのだ。そのとりとめもない夢の一つ、「初めて」を期待し過ぎはしないで始めてみてもいい。

 

 初めてを、始めて、続ける、そんな話。